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Webマガジン Vol.1 - Nov., 2012

分散マルチユーザMIMO伝送の実験と今後の展望

スマートフォンと周波数有効利用

  スマートフォンの普及により携帯電話システムはこれまでとは比較にならないトラフィック急増にさらされている。ITU-Rの報告によるとモバイルブロードバンドトラフィックは今後4年間で約10倍に増加すると予想されている。このように携帯電話システムなどの無線システムは以前にも増して限られた周波数の究極的な有効利用が求められている。

  現在の携帯電話システムはセルラー方式によって構築されており、周波数は離れた場所で再利用されている。この再利用間隔は基地局間隔と対応しており、より一層高密度に周波数を再利用するためには、基地局数を増加させる必要がある。全国展開しているセルラーシステムでは各事業者が日本全国をカバーするために数万局の基地局を設置しているが、この基地局数をさらに増やすことが周波数利用効率向上に最も有効な手段である。


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  しかし、周波数利用効率の改善を基地局数だけに頼る場合、例えば10倍に急増するトラフィックを吸収するために基地局数を10倍に増加させる必要があり、基地局の設置および維持コストが大幅に増大してしまう。また、基地局アンテナ高も低くならざるを得ず、電波伝播が周辺地物の影響を強く受け複雑となるため置局設計も難易度を増す。

  このため、無線信号の伝送技術の面でも究極的な周波数の有効利用が求められている。多くの実用無線システムでは通常、搬送波の位相と振幅を変化させて情報を運んでおり、既に16通りの位相と振幅の組み合わせを利用する16QAMが広く実用化されている。更に周波数利用効率を向上させるために256通りの位相と振幅の組み合わせを利用する256QAMまでもが劣悪な移動体通信路において利用されようとしている。研究レベルでは1024QAMの伝送実験を耳にするようになっており、無線通信伝搬路において以前の常識からは考えられないほど小さな位相差と振幅差を利用した伝送が行われようとしている。

  移動体通信では、基地局アンテナと携帯局アンテナ間が見通しになることは少なく、基本的には見通しのない環境で通信が行われる。このような環境では、受信信号は周辺の地物による反射や回折を受けた複数の信号の和となり干渉が生じてしまう。このため、受信信号の振幅は数十dB(電力で数桁)にも及ぶ変動を受けるだけでなく、位相も移動に伴って大きく変動する。このようなフェージング環境において1024QAMの伝送を目指すところに、移動体通信における技術的チャレンジの究極さが見て取れる。もはや、技術の総動員が行われている状況である。

マルチユーザMIMO伝送技術

  基地局密度を高める方策と変調多値数を16から256, 1024へと増大させる多値化技術と並ぶキーテクノロジーが、同一周波数において複数の信号の送受信を行うMIMO(Multi-Input Multi-Output)伝送技術である。空間の異なる点からより多くの信号を送受信することによって、その信号数に比例して周波数利用効率を向上できることが知られている。理論的には、送信アンテナ数と受信アンテナ数の少ない方で周波数利用効率が支配されるため、その双方を増加させる必要がある。しかし、基地局側はまだしも、無線端末に多数のアンテナを搭載することには物理的限界がある。

  そこで、少数のアンテナを持った無線端末を多数同時に収容するマルチユーザMIMO伝送技術が盛んに検討されている。この技術では、無線端末全体としてのアンテナ数が増加するため、システム全体の周波数利用効率を向上することができる。しかし、少数のアンテナしか持たない無線端末単独では他の無線端末向けに送信されている信号の除去能力に限界があるため、基地局側の送信波形を高精度に調整して送信するプリコーディング技術が研究されている。このプリコーディングでは、基地局側が予め伝搬路状況を測定して無線端末での信号分離が容易になるよう波形の整形を行うことが考えられている。


実験風景1

  このプリコーディングを実際に行うためには、基地局側の送信時において無線端末までの伝搬路を知っている必要がある。このために各種の伝搬路情報フィードバック技術が盛んに研究されている。例えば同じ周波数を利用して無線端末と双方向の通信を行うTDD(Time Division Duplex)システムであれば、無線端末から受信したアップリンク信号を基にダウンリンクの伝搬路情報を原理的には知ることができる。しかし実際には、送信回路と受信回路の振幅位相特性の違いを補正するキャリブレーションが必要となる。現在のセルラーシステムで主流であるアップリンクとダウンリンクの周波数が異なるFDD(Frequency Division Duplex)システムでは、無線端末側で推定した伝搬路情報を基地局側にフィードバックすることになる。

   基地局側では、複数の無線端末までの伝搬路情報を全て知ることにより、同一周波数で多数の信号を送信しながら、無線端末側では必要な一部のみが受信されるように送信信号の位相と振幅を高精度に調整することなどが考えられている。時々刻々と複雑に変化する伝搬路に合わせて、基地局が各無線端末に向けて信号を送り込む高度なシステムである。これによって、無線端末は自身に必要な信号のみが受信されることになり負担が軽減されつつ、システム全体では多数の端末が同一の周波数を利用できることになる。

分散アンテナシステムとマルチユーザMIMO伝送の融合

  多数のアンテナを基地局に集中配置するのではなく、基地局を小型化して地理的に分散して設置する分散アンテナシステムはプリコーディングを行うマルチユーザMIMOシステムと親和性が高く送信電力の低減や干渉の局在化など多くのメリットがある。しかし、プリコーディングを行うためには無線端末側から瞬時にチャネル情報のフィードバックを得る必要があり、チャネル推定技術、フィードバック技術、相互の干渉を制御する技術など重要な研究課題が山積している。

  京都大学情報学研究科通信情報システム専攻吉田研究室と守倉研究室が中心となって総務省戦略的情報通信研究開発推進制度(SCOPE)による「コヒーレントCoMPによる無線分散ネットワークの研究開発」を実施している。本プロジェクトでは、市街地に密に設置された小型基地局が連携して多数の無線端末とMIMO伝送を行うために必要になる要素技術の研究開発に取り組んでいる。特に、実際に電波を発射しての実証実験を行うことを目的の一つとしており、4アンテナを有する基地局装置と、9台の移動無線局を独自に開発し無線局免許(特定実験試験局)を取得している。

伝送実験と今後の展望

  本研究開発では、理論計算、計算機シミュレーションのみならず、フェージングエミュレータ(EB Propsim C8)を用いた実験室内での伝送実験を行い開発した装置の伝送特性を把握し研究開発に活かしている。このような伝搬路模擬装置が無ければ、開発した無線装置の動作特性は実際に電波を発射して確認するしかなくなり、理論値や計算式シミュレーションと比較した正確な伝送特性を把握することが困難である。無線装置を独自に開発して研究する場合、このようなフェージングエミュレータが最も重要な測定装置であると言える。フェージングエミュレータ等を用いて基礎動作特性を十分に把握することにより、屋外での伝送実験結果の解析も可能となる。

 

実験風景2

  今後、携帯電話等の無線システムはより高密度に展開され、各無線端末に向けて高精度に制御された信号が多数送り込まれる形態へと発展して行くと考えられる。この将来のシステムにおいて必要となる要素技術の研究を行い、その有効性を可能な限り実証していきたいと考えている。無線信号の送受信から干渉制御技術などネットワークレベルの制御技術も含めて研究を推進し、携帯端末の負担が小さく周波数利用効率が極めて高い無線通信システムの実現を目指す。

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